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散ること(終)

升田の為した事で下記のことを第一に挙げる人が多いです。

第二次世界大戦の敗戦後のこと。
日本にGHQ(連合国総司令部)が置かれ「将棋を廃止」する案を日本に問うて来ました。
これを救ったのが升田です。
この話を知れば升田のすごさがわかります。
それを如実に書いてくれている記事がありますのでご存知の無い方はごらんください。


確かにすごい事でしが私が最期に書くのはこれではありません。

今やコンピューターが将棋で名人を倒す時代がやって来ました。
昨日詰将棋大会でも藤井六段は初の4連覇を成しました。
その藤井先生もコンピューターで勉強して強くなり、いまやコンピューターなしでは勉強できないくらいですね。

1991年に亡くなった升田はこのことを当然知りません。
升田が生きていたらこのことをどう言うか、が私の最期の記事です。

「コンピューター将棋なんてゲームセンターのゲームみたいなものだから私は相手にしない」
こう言うのではないかと。

実は升田はコンピューター将棋について生存中に少し述べております。
「五段くらいまではいくかな。その後人間がいろいろ工夫して教えてあげればもっと強くなる・・・」と。
そのころはまだコンピューターは弱かったですからね。
このときは否定したような言動ではないですね。

なのになぜ私は上記の予想をするか・・・・

それは次のような名言を残しているからです。

人生も将棋も対話だ

と。
対話なくして人生なく、対話なくして将棋はない。
将棋は勝負が着けば感想戦というのがあります。
このときはこう、とかあーだとか・・・いろいろ。
コンピューターはそれが出来ませんよね。

一つ面白い話があります。
升田がある棋士との戦いの終盤。
「詰みだな。」と低くつぶやきながら一手指します。
相手はそれを見て投了。
感想戦で実は詰んでいなかったことがわかり、相手は「先生が詰んだと言ったので投了してしまいました。」と。
すると升田は、
「わしがつぶやいたことで投了するならあんたはそこまでの棋士だな。」と。

これも人間だからのドラマではないでしょうか。
コンピューターにはできない技です。

どんな強い人も歳をとれば弱くなります。朽ちます。
コンピューターは歳を知りません。朽ちることを知りません。
適切な挨拶も話もできません。

木村義雄十四世名人が名人戦で大山康晴に敗れ、名人が交代します。
大山は深々と頭を下げて勝ちを受けました。
すると木村は、
「良き後継者が現れた。」と述べます。

やっぱり人生も将棋も対話でしょう。
升田はコンピューターを相手にしないでしょう。
でも本と同じ。
勉強する相手であるのは構わないでしょう。

散る.jpg

散ってこそ次の芽

終わり

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名人に香車を引いた

前記事の続きになります。

升田は本当に陣屋旅館に怒って対局拒否をしたのか。(私感)

旅館に出向いたけど誰も升田を応対せず30分も玄関で待たされていた・・・・
あるいは、
女中が応対し、物貰い(乞食のこと)は通用口に回ってください、と言われたとか・・・・
升田の人を気にしないあの風貌ですから。

升田本人が語るだけで本当にそうだったのか・・・
この様子を誰も見ていませんからね。

旅館は丁重に謝罪し、その後玄関に太鼓を置くようになります。

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陣太鼓にちなんだのですね。
これを叩けばお客様がすぐわかるわけですからね。

その後しばらくして升田から旅館へ訪れてにこやかに和解をしております。
これを見ても升田の真意、知ることができません。
その旅館で、

9__4.jpg

升田の名句です。


さて、なんとか無事に納まったわけですがまたやってくるのですね。
1956年。
また王将戦。
今度は当時名人だった大山康晴に。
実は升田と大山は師匠が同じ兄弟棋士。
升田が兄弟子にあたります。

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なんといきなり升田の三連勝!
大山名人相手に香車を引くことに。
今度は何の遠慮も要りません。(私感)
相手は弟弟子ですから。
そして、
升田が勝ちました!
本当に名人に香車を引いて勝ってしまったのです。
ところでこの王将戦、早く終ってはつまらないので7番勝負は全部する制度になっています。
タイトルは決まってもまだ勝負は続くことになります。
それどころか、また香車を引いて・・・・

そのころ母親の病状が思わしくなく故郷に戻って母親と話します。
母親は「そのへんでやめておけ。
と言ったそうです。
それが原因か、その後の勝負を棄権します。

その後の升田の言葉です。

「喜びがね、日々段々脹れ上がってきた。
もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前が残るというね。
時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと
将棋が始まって私だけだから。
名人に駒をおろした人は。」

私が注目するのは下線部です。
やっぱり名人に大恥をかかせること・・・・
子供の時の夢だったかもしれないけど現実となると・・・・
人間升田は悩んだのでしょう。
あの陣屋事件も。

升田のこと、もうちょっと書いてみたいので次回に。

升田の名句。

たどり来て、
今だ山麓

 

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一番好きな棋士

それは升田幸三です。
こういう人は多いでしょう。
また現在のプロ棋士に、一度でいいから指してみたい棋士は誰かと問われると「升田幸三」と答える人も多いです。
あの天才羽生永世七冠も、「碁は打ってもらったが将棋はだめでした。」と答えています。

masuda15.jpg


写真は一番覚えのある顔なので載せました。
ここ時期はもう全盛期を過ぎたころ。
木村義雄十四世名人と戦っていた頃が一番強かったのではないでしょうか。
それでも晩年まで強かったのですよ。
教祖様みたいですね。
私は高校生の時からのファンでした。
あまりご存知で無い方はどうぞウィキペディアでご覧ください。

この大先生の残した偉業や言葉はあまりに多いので書ききれませんが、
やっぱり「名人に香車を引いて勝つ」でしょう。

当時名人位とは絶対的な地位で不敗的な存在でした。
<香車を引く>とは相手が少し弱いので盤面から自分の香車一枚を外して勝負を始めることですね。
それを名人相手にやって勝つ、と物差しに書置きして16歳の時に家を出ます。
実現したら大事件という書置きでした。
いかにも升田幸三、と思いますが実際は少し違う、と正直に言う升田がまたすばらいいです。
実際は、
「この幸三、名人に香車を引いて勝つために大阪に行く」でした。

当時「王将戦」というタイトルができて、
7番勝負でのこのタイトル戦は三番手直りといって決まるまでに先に三勝差になってしまったら残りの対局は勝っている方が香車を落とす一番を入れる、いう制度を取り入れたのです。

それを時の名人、木村義男に!

陣屋事件
1951年のこと。

まさか起こるまいと思われた「名人に香車を引く」勝負の時が来たのです。
ところが、です。
升田幸三は対局拒否を!
だから実現しなかった!
今こそ升田幸三の夢を実現する時が来たのに!
なぜか。

いろんな理由が書かれています。
その前に新しくできたこの王将戦の制度に升田は反対していました。
昔から四番手直りというのはありましたが三番手直りは厳しすぎると。
「名人の権威を失墜させる」とまで升田は言っております。
でも升田の提言は受けられていません。
三勝差になったときでも本当に「香車を引く」と信じていなかったみたいです。
他にもいっぱい私も読みました。
「時の名人に香車を引く」のも大事件だし、タイトル戦での対局拒否も大事件でしたからね。
陣屋という旅館の升田に対する無礼な扱い・・・・
旅館が謝りに来ても許さなかった・・・・
(旅館を替えてくれたら対局すると言っています)
関西将棋棋士への差別・・・・
などなど・・・・
しかし実際は・・・・升田は後にも詳しく語っていない気がします。
私が思うに・・・(全くの想像です)

木村義男に歴史的な大恥をかかせたくなかったからではないかと。

升田は当然不戦敗になりますがその後の勝負に勝って王将位を得ました。
しかし当然厳しい処分が待っています。
一年間の出場停止や王将位の奪回など・・・・
ところが、
その憂き目を救うかのように木村義雄が許すように進言して落着したのです。
升田の心を察したのか・・・・

そしてこれで終わりなら升田ではない・・・・

続きは次回ででも。

CIMG0066_800.jpg
咲くだけ咲いて散ろうとしない・・・・


タグ:升田幸三
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将棋と囲碁

囲碁と将棋界でこれほど人気が上がったことは過去にあったでしょうかねぇ。
その時の時代にもよりますが歴史上一番かも知れません。

何より、神業、神対応の藤井聡太先生。
次に国民栄誉賞の羽生先生と井山先生。

燃え上がる時はこんな風に重なるのですね。

最近再びNHK将棋トーナメント、囲碁トーナメントを見るようになってしまいました。
これを見ていると日曜日がつぶれてしまうのですねぇ。
これらが終ると競馬。。。。
日曜日はこれらのためにあったような。。。
私がこれらに熱中していた時代はずいぶん昔なのです。

囲碁や将棋のファンの方ならご存知でしょう、趙治勲、中原誠。
私がずっと見ていた時代はそこまでです。

名前は知っていても羽生先生や井山先生の勝負を見たことは無いくらいでしたから。

NHKを見ていて・・・・
あの若かった今村俊哉先生がこんな風貌に・・・・
あの若かった郷田真隆先生が・・・・
懐かしい!
そしていっぺんにあの当時に戻ったような気持ちに!

他の事に熱中するためにずっと離れていたのですね。
私は囲碁も将棋もどちらも好きだったため時間がいくらあっても足りませんでしたから。

確かに今でも音楽などに忙しいけど戻って良かった。
若かりし自分。
まだありました。

明日は決勝かな。

ありがとう藤井先生。

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東絞り.jpg
画像 033_1024.jpg
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最後の白寿は遅咲きです。
でもこれらの放春花はいつまでも花を付けているのですね。
それが一番好きなところです。

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やらねばならない [私の園芸]

花を見終わったら終わりなのでなく始まり。
翌年我が手で咲かしてこそ園芸。

何をするか。

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先ずは剪定ですがその前にしだれ梅のことを知らねばなりません。

しだれ02.JPG

このしだれ梅、見れば見るほど不思議なのです。
天辺が切られています。
ということはこれ以上伸びない。大きくならない?

次に枝です。
梅の花は新枝にしか花芽を付けません。
ということは今見えている枝には来年花は咲きません。
どこから新枝が生えてくるのでしょうか。
普通は枝から。
でも今の枝は幹から生えていますね。
幹から新たに生えてくるのでしょうか?
今の枝に新芽は見えていますけどね。
不思議な園芸。。。

とにかく剪定。

しだれ04.jpg
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新芽二つ残して剪定、と物の本には書いてあります。
新芽の見えない枝もありました。
でも剪定。
きちんと「ゆ合剤」も塗っておきました。

次に植え替え。

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きっと園芸店から買ったままだったんでしょうね。
安物のプラ鉢の底から根が・・・・

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案の定カチカチです。

しだれ07.jpg

数時間水に漬けます。

しだれ08.jpg

よくほぐしました。

しだれ09.jpg

カットしました。

しだれ10.jpg

土も全部替え、底肥、お礼肥も入れました。
しばらく日陰に置いてから日に当てます。

どうなることやら・・・・

隠居の恩返しをしたいものの、盆栽は素人。。。。

でも昨日も他にしたいこといっぱいありましたが一生懸命にやり遂げました。
足腰ガタガタです。

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