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芽と枝 [私の園芸]

今まで失敗ばかりでした。
しかし芽と枝のことが少しわかってきました。
升田先生、これがしっかりとわかれば盆栽は・・・・

   たどり来て
   やっと山麓

でしょうか。

一才桜

一年目は咲かなかったけど今年は下のようにきれいに咲いてくれました。

bok04.JPG

花が下から上まできれいに咲いているので樹形の悪さはわかりにくいでしょうが失敗作だったのです。

昨年からの記録を載せて反省してみます。

bok01.JPG

上は一昨年の冬に買った一才桜です。
昨年咲かなかったけど元気に育っていました。
下手なくせに樹形を考えました。
黄色丸のところから枝が出て育てば赤で切ってしまうと樹形が良いだろう・・・と。
盆栽は小さく育てて大きく咲かす・・・と思っていましたから。
でも上のままの樹形のどこが悪いのでしょうかねぇ。
今思うとアホだったと・・・・

bok02.JPG

ばっさりと切りました。
はい。期待通り黄色丸の芽が出てきました。
でもここが素人ですね。
桜は神経質でした。
一番大きな枝を切っているのでエネルギーは残った右の枝に集中するのでしょうね。
下の芽なんか目じゃない(爆)

bok03.JPG

秋になりました。
期待した下の芽は枯れて・・・・
惨めな樹形のまま・・・
人に見せるのが恥ずかしかったです。
でも一番上の写真のようにきれいに咲いてくれて救われました。

下は現在の桜。
花も終わり、葉桜になっています。

bok05.JPG

3,4芽残して上だけを剪定しました。
皮肉なことに枯れたはずの下の芽、また出てきました(黄色丸)
そんなものなんですねぇ。
こんどこそこれが育ってくれないと来年の樹形はもっとひどくなります。
だって上の青いところ、そこから枝が伸び、その枝に花が咲きます。
下がスカスカ・・・・

bok06.jpg

ピンクのところにも芽らしきものありますが動きません。
昨年の失敗はしない!
一番下の芽のように次の年に出るかもしれない・・・・

一度失敗すると取り戻すのに2,3年はかかるみたいです。

芽と枝、少し判ってきましたよ。

タグ:盆栽 一才桜
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留守の間に [メダカ]

沈んでいる・・・逝くなんて。。。。

さよなら.jpg

家内に聞くと私が帰るまでは元気だったとか。
もう一日待ってほしかったな。

でもこれで楽になったんだね。


鳥取での演奏会も大変だった。

そういえば・・・
演奏中に一本のフルートのバネが飛んで故障しました。
二本持って行っていたので難なく演奏できましたけどね。
やっぱり。。。

明日から気持ちを変えてがんばります。

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散ること(終)

升田の為した事で下記のことを第一に挙げる人が多いです。

第二次世界大戦の敗戦後のこと。
日本にGHQ(連合国総司令部)が置かれ「将棋を廃止」する案を日本に問うて来ました。
これを救ったのが升田です。
この話を知れば升田のすごさがわかります。
それを如実に書いてくれている記事がありますのでご存知の無い方はごらんください。


確かにすごい事でしが私が最期に書くのはこれではありません。

今やコンピューターが将棋で名人を倒す時代がやって来ました。
昨日詰将棋大会でも藤井六段は初の4連覇を成しました。
その藤井先生もコンピューターで勉強して強くなり、いまやコンピューターなしでは勉強できないくらいですね。

1991年に亡くなった升田はこのことを当然知りません。
升田が生きていたらこのことをどう言うか、が私の最期の記事です。

「コンピューター将棋なんてゲームセンターのゲームみたいなものだから私は相手にしない」
こう言うのではないかと。

実は升田はコンピューター将棋について生存中に少し述べております。
「五段くらいまではいくかな。その後人間がいろいろ工夫して教えてあげればもっと強くなる・・・」と。
そのころはまだコンピューターは弱かったですからね。
このときは否定したような言動ではないですね。

なのになぜ私は上記の予想をするか・・・・

それは次のような名言を残しているからです。

人生も将棋も対話だ

と。
対話なくして人生なく、対話なくして将棋はない。
将棋は勝負が着けば感想戦というのがあります。
このときはこう、とかあーだとか・・・いろいろ。
コンピューターはそれが出来ませんよね。

一つ面白い話があります。
升田がある棋士との戦いの終盤。
「詰みだな。」と低くつぶやきながら一手指します。
相手はそれを見て投了。
感想戦で実は詰んでいなかったことがわかり、相手は「先生が詰んだと言ったので投了してしまいました。」と。
すると升田は、
「わしがつぶやいたことで投了するならあんたはそこまでの棋士だな。」と。

これも人間だからのドラマではないでしょうか。
コンピューターにはできない技です。

どんな強い人も歳をとれば弱くなります。朽ちます。
コンピューターは歳を知りません。朽ちることを知りません。
適切な挨拶も話もできません。

木村義雄十四世名人が名人戦で大山康晴に敗れ、名人が交代します。
大山は深々と頭を下げて勝ちを受けました。
すると木村は、
「良き後継者が現れた。」と述べます。

やっぱり人生も将棋も対話でしょう。
升田はコンピューターを相手にしないでしょう。
でも本と同じ。
勉強する相手であるのは構わないでしょう。

散る.jpg

散ってこそ次の芽

終わり

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名人に香車を引いた

前記事の続きになります。

升田は本当に陣屋旅館に怒って対局拒否をしたのか。(私感)

旅館に出向いたけど誰も升田を応対せず30分も玄関で待たされていた・・・・
あるいは、
女中が応対し、物貰い(乞食のこと)は通用口に回ってください、と言われたとか・・・・
升田の人を気にしないあの風貌ですから。

升田本人が語るだけで本当にそうだったのか・・・
この様子を誰も見ていませんからね。

旅館は丁重に謝罪し、その後玄関に太鼓を置くようになります。

img_5360.jpg

陣太鼓にちなんだのですね。
これを叩けばお客様がすぐわかるわけですからね。

その後しばらくして升田から旅館へ訪れてにこやかに和解をしております。
これを見ても升田の真意、知ることができません。
その旅館で、

9__4.jpg

升田の名句です。


さて、なんとか無事に納まったわけですがまたやってくるのですね。
1956年。
また王将戦。
今度は当時名人だった大山康晴に。
実は升田と大山は師匠が同じ兄弟棋士。
升田が兄弟子にあたります。

img_585e7b3329b742e2ca9000da93bbf83f424394.jpg

なんといきなり升田の三連勝!
大山名人相手に香車を引くことに。
今度は何の遠慮も要りません。(私感)
相手は弟弟子ですから。
そして、
升田が勝ちました!
本当に名人に香車を引いて勝ってしまったのです。
ところでこの王将戦、早く終ってはつまらないので7番勝負は全部する制度になっています。
タイトルは決まってもまだ勝負は続くことになります。
それどころか、また香車を引いて・・・・

そのころ母親の病状が思わしくなく故郷に戻って母親と話します。
母親は「そのへんでやめておけ。
と言ったそうです。
それが原因か、その後の勝負を棄権します。

その後の升田の言葉です。

「喜びがね、日々段々脹れ上がってきた。
もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前が残るというね。
時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと
将棋が始まって私だけだから。
名人に駒をおろした人は。」

私が注目するのは下線部です。
やっぱり名人に大恥をかかせること・・・・
子供の時の夢だったかもしれないけど現実となると・・・・
人間升田は悩んだのでしょう。
あの陣屋事件も。

升田のこと、もうちょっと書いてみたいので次回に。

升田の名句。

たどり来て、
今だ山麓

 

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一番好きな棋士

それは升田幸三です。
こういう人は多いでしょう。
また現在のプロ棋士に、一度でいいから指してみたい棋士は誰かと問われると「升田幸三」と答える人も多いです。
あの天才羽生永世七冠も、「碁は打ってもらったが将棋はだめでした。」と答えています。

masuda15.jpg


写真は一番覚えのある顔なので載せました。
ここ時期はもう全盛期を過ぎたころ。
木村義雄十四世名人と戦っていた頃が一番強かったのではないでしょうか。
それでも晩年まで強かったのですよ。
教祖様みたいですね。
私は高校生の時からのファンでした。
あまりご存知で無い方はどうぞウィキペディアでご覧ください。

この大先生の残した偉業や言葉はあまりに多いので書ききれませんが、
やっぱり「名人に香車を引いて勝つ」でしょう。

当時名人位とは絶対的な地位で不敗的な存在でした。
<香車を引く>とは相手が少し弱いので盤面から自分の香車一枚を外して勝負を始めることですね。
それを名人相手にやって勝つ、と物差しに書置きして16歳の時に家を出ます。
実現したら大事件という書置きでした。
いかにも升田幸三、と思いますが実際は少し違う、と正直に言う升田がまたすばらいいです。
実際は、
「この幸三、名人に香車を引いて勝つために大阪に行く」でした。

当時「王将戦」というタイトルができて、
7番勝負でのこのタイトル戦は三番手直りといって決まるまでに先に三勝差になってしまったら残りの対局は勝っている方が香車を落とす一番を入れる、いう制度を取り入れたのです。

それを時の名人、木村義男に!

陣屋事件
1951年のこと。

まさか起こるまいと思われた「名人に香車を引く」勝負の時が来たのです。
ところが、です。
升田幸三は対局拒否を!
だから実現しなかった!
今こそ升田幸三の夢を実現する時が来たのに!
なぜか。

いろんな理由が書かれています。
その前に新しくできたこの王将戦の制度に升田は反対していました。
昔から四番手直りというのはありましたが三番手直りは厳しすぎると。
「名人の権威を失墜させる」とまで升田は言っております。
でも升田の提言は受けられていません。
三勝差になったときでも本当に「香車を引く」と信じていなかったみたいです。
他にもいっぱい私も読みました。
「時の名人に香車を引く」のも大事件だし、タイトル戦での対局拒否も大事件でしたからね。
陣屋という旅館の升田に対する無礼な扱い・・・・
旅館が謝りに来ても許さなかった・・・・
(旅館を替えてくれたら対局すると言っています)
関西将棋棋士への差別・・・・
などなど・・・・
しかし実際は・・・・升田は後にも詳しく語っていない気がします。
私が思うに・・・(全くの想像です)

木村義男に歴史的な大恥をかかせたくなかったからではないかと。

升田は当然不戦敗になりますがその後の勝負に勝って王将位を得ました。
しかし当然厳しい処分が待っています。
一年間の出場停止や王将位の奪回など・・・・
ところが、
その憂き目を救うかのように木村義雄が許すように進言して落着したのです。
升田の心を察したのか・・・・

そしてこれで終わりなら升田ではない・・・・

続きは次回ででも。

CIMG0066_800.jpg
咲くだけ咲いて散ろうとしない・・・・


タグ:升田幸三
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